2013年11月15日金曜日

童話を大人が読むとき

私が絵本を大人向けに朗読したい、と思ったのは、3年前のことです。

それまでもあらゆる方が、大人向けに絵本を読んでいらっしゃいます。

私は、常に、特別なことは何もしていなく、とことんやりたいからやる、それだけで動き続けています。


柳田邦夫さん、というジャーナリスト兼、絵本用の翻訳をされている方がいらっしゃいます。

彼は、『人生で3度』絵本を開いて欲しい、とおっしゃっていて、宣教師のように、このことを伝え続けていらっしゃいます。

こどものとき、
大人になってから、
そして、
親になった時に。

座右の絵本を、ぜひ、お持ちになってください、と。

とても素敵な考え方だな、と思っています。


今回、宮沢賢治さん、そして、やなせたかしさんの童話を朗読しますが、

童話って、子供向けのお話なわけですが、

大人が書いてるんですよね。

絵本もそうです。

そうなると、童話って、現実世界のメッセージを、柔らかく撹拌したり、オブラートにつつんで、ちょっと優しい色で見せたりしているものなのだなあ、とよくよく感じます。


そんな包まれた、ちょっと優しく見えるものを、私はいちど剥がして、ビビッドに見つめる作業をします。


これは、一体、何の物語かな?って。


そうすると、ずっしーん、とその核のテーマが心に降りて来てくれて、

それを私は汲んだ上で、またオブラートに包み直すわけです。


こんなに優しい言葉で、こんなに深いこと描いてるよ、分かるよね?って。


この『包み直し』までたどり着かないと、なんとうか、雰囲気に酔っている、子供をバカにしたような語り方になっちゃうんじゃないかな。



と、今日は帰り道に考えたのでした。これは、きっと無意識にやっているんだけれども、とても大切な消化作業の一つだな、と思います。

ただ、自分で読書するときでも、そういう視線で童話を読んでみると、なかなかなのではないでしょうか。