2011年3月17日木曜日

馬鹿かと思われるかもしれませんが。

こんなこと申したら、おまえ馬鹿か、と言われるかもしれませんが、皆さんも考えてみてください。

まず、今、この環境において、光を見るか、陰を見るか、それはあなた自身の選択の自由です。

だれが悲観しろと言ったのでしょうか?怒り、批判し、非難し、そこに何が産まれるでしょうか?

何を見つめ、どう動くか。

じつは、今の日本で、世界で、意識が大きく二極化しています。


悲しみを映し続け、電気を使いまくるテレビを見るか、
ビルの電気を消しまくって、頑張って光を見つめようとするラジオを聞き続けるか。

悲劇を知ってため息をつくか、自分も援助要請を応援して、一通のメールを送ってみるか。


募金に行くか、買い出しに行くか。


もちろん、バランスです。どちらも行っています。わたしも。


でも、それでも、自分の軸をどちらに置いておくか、決めておきましょう。

ただ、揺り動かされるままになるのではなく。

毎晩、寝る前に祈る、起きたら、祈る、そこから一日を始める、とか、ことの度に被災者の方が頑張ってるのだから、という気持ちは忘れない、とか。


誰でもできます。揺れたっていい。でも、戻る心の置き所を、今一度、決めておきましょう。

そして。
いま、東京から沢山の方が避難しています。

放射能を恐れて。


確かに、被爆は誰だって、怖いですよね。

私なりに光を見つめようと思います。

私の両親は、福岡県の大牟田出身です。母は、長崎に原爆が落ちたとき、1歳でした。
今日両親に聞いてみました。
『大牟田に、長崎の原爆で被爆した人はいるの?』
答えは、ノーでした。

長崎と福岡、福島と東京、どちらが近いのでしょうか?
福島第一原子力発電所ーー東京      227.1km
長崎平和公園ーーーーーー福岡県大牟田市  61.6km


いま、本当に避難することが大事なのかな?


広島の人は、いいます。

被爆後、もう、植物は生えてこないだろうと言われた、この広島ドームの周りには一年後には沢山植物が生えてきたんですよ。
いつまでも、癒されていないのは人間の心のような気がします

、と。

光は、人によって違っていいと思います。私は、長崎のたった60キロ先で元気に育った両親を人生の先輩として信じます。心がどっちにあるか、で、景色は変わります。


いつでもこっちに戻ってきてね。

今日も沢山の光が沢山のいのちに降り注ぎますように。
心細い想いをしている人達に、少しでもプロの救助の人々の手が届きますように。
原発の上に、慈愛の雨が降り注ぎますように。